【2025年2月】<法語>他人とくらべず、あせらず、あきらめず
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如来の摂取不捨(せっしゅふしゃ)<えらばず、きらわず、みすてず>の心を学び、
真実、自分自身のしたいこと、しなければならないこと、できることを
他人とくらべず、あせらず、あきらめず、していこう
竹中智秀氏
この言葉は、私が2018年に京都の専修学院で1年寮生活をしていた時に聞いたお言葉です。
竹中智秀先生は専修学院の前院長でした。今の私にとって、大切な言葉となっています。
阿弥陀如来はすべての衆生(生きている生物)を救いたいと私たちにその心を差し向けて
おり、その心とは、えらばず、きらわず、みすてずの心であるといいます。
しかし、対して私は自分を中心にして都合のいい人を選び、不都合な人を嫌い、見捨て
て生きているように思います。
そのため、誰かに必要とされなければ居場所はなく、
やるべきことをしなければ嫌われ、
迷惑をかけるようなことをすれば関わらないようにと見捨てられる、
そのような窮屈で怖い世界を自分で作り、今を生きている。
もし、善悪、美醜、損得などの自分の物差しで他者を裁くのではなく、
自分と価値観が違う人を知り、お互いに認め合えることが出来たら、
「自分のままで・あなたはあなたのままでいいんだ」と安心することができて、
「私も私らしくいていい」
と思えるのではないだろうか。私が本当の私となって生きていけるのではないだろうか。
浄土とはお互いが思いやり、認め合える世界。だから自分らしく生きていい世界です。
そう生きてみたいと心の叫びを届けてくれる言葉が竹中先生の言葉です。
私が本当の私で生きていける時、
あなたが本当のあなたで生きていける時、
「真実、自分自身のしたいこと、しなければいけないこと、できること」が少しだけ見つかり、
私は私のままで「他人とくらべず」に「あせらず、あきらめず、していこう」
ができるのではないだろうかと感じています。
私にしかできないことはないけれども、私だからできることはある。
それを大切にしたいと思っています。
実際にはなかなかできない事ではありますが、この言葉から阿弥陀如来の心を賜ると
今の自分がどんな姿をしているのか、またどんな道を歩いていきたいかを問われる思いがします。
皆さんはどのような事を感じますか?
寒い日が続き、降雪量も多いシーズンになりました。ご自愛ください。