【2026年8月】<法語>関係ないように見えて 実はみんな深い関係があるんです

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関係ないように見えて 実はみんな深い関係があるんです

永 六輔

 

 

 すべてのことは移り変わっていきます。お釈迦様が悟られた縁起(えんぎ)の法は、存在する一切のものが縁によるもので、永遠に存在するものはないと言われています。『歎異抄』には、「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる」とあります。離れるべき縁があれば、どんなにともに生きたいと願っても離れていかなくてはなりません。また一緒にいたくないと思った人とも付き合っていかなくてはなりません。人間が生きるということは、関係の中で生まれ、関係の中で育ち、関係の中で死に、関係の中で終わっていきます。その関係は誰にも代わってもらうことはできないのです。

 

 世界中を震撼させたオウム真理教の事件から三十年が経ちました。私は、オウム真理教元信者の井上嘉浩(いのうえよしひろ)さんと十年間にわたり東京拘置所と大阪拘置所で面会を続けていました。それは、彼が高校生まで暮らしていた場所が私の家の近くで、オウム真理教の事件報道を通して井上さんの存在を知ったとき、「同じように悩みを抱えた一人の人間として、道ですれ違っていたかもしれない人」だと思ったことがきっかけでした。

 

 私は、幼少期の家庭環境から学校でいじめを受け、生きる意義が見い出せず、過呼吸の発作が起きるたびに救急車で搬送され、毎日死ぬことを考えていました。しかし、お寺に預けられ、お坊さんの一言に驚いた私は、寺院を訪ね、仏教を学び、最終的に親鸞聖人の教えに生きる人に遇えたことで、悩みながら歩ませてもらえる縁をいただいたのです。

 

 井上さんも自らが生まれてきた存在の深い苦悩から、仏教を学ぶためにオウム真理教に入会し、真摯に道を求めたからこそ教団の要職を任されたのです。ですから、拘置所のアクリル板の向こうにいるのは、私だったかもしれないと思いながら一回一回、面会をさせてもらっていました。それは大変重くつらいものでしたが、私と井上さんの境遇は、たまたま縁が違っていただけでした。

 

 「どんな人に出遇ったか」、人はその出遇いによって一生が決まることを知らされます。私が戦争に反対するようになったのは、和田稠(わだしげし)先生と出遇えたからでした。先生が私に、お念仏の教えと「戦争は人間を人間でなくしてしまうから、もう二度と戦争をしてはならない」とその身をもって伝えてくださったからです。そして、先生もまた苦悩を抱えた少年時代に、親鸞聖人の教えに生きるよき人に遇うことができて、生涯の方向が決定したのだと私に何回も話してくださいました。今もその懐かしい声が聞こえてきます。

 

 誰もが思いどおりにならない現実の中で悩みを抱えながら生きています。誰もが遇おうとしても遇うことの出来ない苦しさ、押し寄せる不安感、どうすることもできない孤独感とともにその身を生きています。まさにお釈迦様が説かれたように、人間の身を生きていく限り、すべてのことは苦しみであるという身の事実を、仏法を聴聞(ちょうもん)することによって知らされます。聞法(もんぽう)とは、そんなどうすることもできない私の思いが教えによって問い返されることでした。私は、孤独に落在(らくざい)することができないまま、孤独を厭(いと)う心が孤独つくっていたのです。この淋しさこそが、私の中にはたらいて囚われた私の思いを破り、私を動かす力だったのです。

 

 「何のために生まれてきたのか」という私を突き動かす問いが、多くの方々と出遇わせてくれました。一人ひとりが私を私にしてくださったかけがえのない方たちです。まさに不思議な仏縁をいただいて、今ここにいることを思わないではおれません。

 

鈴木 君代

シンガーソングライター

東北教区山形第7組念通寺衆徒